ある政治家が、共同親権に反対する意思表示をSNSで書いていた。その内容は、よくあるパターンの流れで書かれていた。
DV被害者・当事者と会った。
その人たちが、共同親権になるとDV加害者の元夫と
「面会交流が強制される」と怖がっている。
だから私は共同親権に反対する。
だいたいそういう主旨の文章である。
政治家ならば、ひとつのイシューについて、さまざまな立場と意見があることは承知しているはず。
両方の立場の意見をきいてみる。
それが無理ならば、関係する書籍を10冊くらい読んで、ひとつの訴訟を傍聴して、10人くらいの当事者の意見を聞いてみる。
その結果として、苦渋の選択としてひとつの政治的な立場を表明する。
または、ほかに専門的に取り組んでいる政治家と行動を共にする。
あるいは、自分の政治信条にあわないので関わらない。
これくらい慎重でちょうど良い。
そういう慎重さをすっとばして、共同親権に反対するとか、賛成するとか。
あの人がそう言ったから、共感したから、私は賛成します。
それでは政治的立場と言えない。
国論を二分する大問題である。判断が拙速だ。
政治家として劣化していると思う。
私は共同親権に賛成というよりも、実子誘拐(拉致・連れ去り)が間違っている、という考えの方が強い人間である。
実子誘拐(拉致・連れ去り)、養育費ピンハネビジネス、虚偽DVなどのおかしな行為がなくなればどんな制度でもかまわないと考えている。
おかしなことがない、人権侵害が無ければ普通の人は制度や政治に興味を持たない。
人権感覚がするどい人でも、実子誘拐(拉致・連れ去り)については言及しない、みないふりをする、という姿勢がいまも不思議だ。なぜそこまでスルーするのか。
共同親権か、単独親権か、という議論の前に、
「実子誘拐(拉致・連れ去り)は日本に数多くあって、それは人権侵害だ」という議論が必要だと思う。
実子誘拐(拉致・連れ去り)は日本社会に存在しないのだ、という意見はあるかもしれない。しかし、それならば、実子誘拐(拉致・連れ去り)の被害者・当事者が現実にいるのだから、共同親権に賛否の意思表示をしたい政治家なら当事者に会いに行くべきだろう。その上で政治的立場を表明しても遅くはない。